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松の内も明け、鏡開きも迎えてしまいました。新年1回目は6日に投稿する予定でした。

想定外のことから始まった2024年。今、ようやく一息つける状態になり、ブログを書く時間が作れました。

と、いうのも。

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実は暮れから富山に移動、元日ののんびりとしたところに能登半島地震に襲われました。

元々こちらは地震があまりない地域で、数年前から能登沖での頻繁にあった地震もここは震度1、2程度だったので、まさかの出来事に驚きと共に恐怖を感じました。

テレビは倒れ、棚のものは落ち、書籍は散らばり、壁紙は剥がれる始末。揺れにより動くこともままならず。その後、何度か大きい揺れを感じながらも断水や停電の対策の準備をし始め、周りの様子を確認。Tさんは職場に出勤し、私は義実家の人々の出迎え。

義実家は海に近く、木造の築年数のかなり経過している家。義兄一家が帰省中で、幼い子供たちもいて心配だったのでこちらに避難してもらうことに。寝床の確保、食事やお風呂の準備など大人数で生活したことがない私がオロオロしているところ、帰宅して早々テキパキと対処していくTさん。

今までにない出来事により興奮している義両親。ソワソワして落ち着きなくしていた私は、子供たちのいつもと変わらない様子に救われました。こういう時はまず、一服などして落ち着くのが大切ですね。誰も怪我なく集まれたのにはホッとしました。

大晦日はゆく年くる年を見ながら炬燵で、日本酒をちびりと。

元日の朝はお雑煮を食べ、少し出掛けて、炬燵でぬくぬく。

呑気に過ごしていたお正月が嘘のようでした。

昨年、ふっと災害対策を見直しておこうと、断水や停電対策を少しずつ始めていました。

といっても、ペットボトルに水を溜めておく事、ミネラルウォーターの備蓄、懐中電灯や蝋燭、ガスコンロの購入など。食料品は長期保存ができるものを常に置くようにしていたくらいです。

今回は断水も停電も起こりませんでしたが、避難所になることは想定していなかったので、布団などの寝具や日用品の備えが不十分でした。今年は日用品に関して見直しておこうと思います。簡易ベットなどあると便利かもしれないなあ、、、色々考えてみようと思います。

そして、もう一つ。羽田空港での火災。天災が起きた同日に痛ましい事故が起こるとは思いもしません。飛行機の乗客の方は間一髪だったようですが、亡くなられた自衛隊の方は被災地へ向かわれる予定だったそうで無念でなりません。こちらは地震のニュースがメインなので、その後の事故の経過についてはよく把握できていませんが、対策など十分な検証がされ、安全な航空運航を行えるようになることを願います。

東日本大震災の余波を千葉で経験していましたが、それとは比べ物にならない恐怖感でした。こちらでは起こらないだろうと慢心していたのかもしれません。こういった緊急時にその人となりがわかると言われてきましたが、周りを見ていてそう体感しました。

体感できる余震はまだまだ続いており、揺れるたびにドキドキします。

『備えあれば憂いなし』と言いますが、いくら備えていても実際に体感すると憂いばかりです。災害時に同様の生活ができないとわかっていても、便利さに慣れきってしまうといざという時の臨機応変な対応ができなくなってしまうものだな、と。時々は便利さを少し手放すことも必要なのかもしれません。そして、災害時の対応について家族で話し合い共有しておく必要を感じました。これからの課題です。

地震が起きてすぐ、心配して連絡をくれた家族・友人達には感謝しています。すぐに返信できませんでしたが、数日間やり取りをしていて気が紛れてホッとしました。日常生活とは違う環境に置かれた中、とても心強くありがたかったです。

義実家の兼ね合いもあり、まだこちらにいる予定です。店は大先生にお願いしています。助かります。

2024年の先行きは不安なことから始まりましたが、今年もまた1年、地道に無理せず頑張っていきます。

ご挨拶が遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。

(↓飾っていた辰の手ぬぐい。地震で落ちることなく、壁に張り付いていました。もう少し頑張ってもらおうかな)

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